感性を磨く
というのがお題目のように聞こえてくるが、私なりの「感性を磨く」とは、自然に他人の価値観に揃うようになること、ではなく、周囲の人と考えを交換することにより「この人はこの点では自分とまったく違う考え方をしている」ことを知り、今後うまくつきあうにあたり「この話題は『そう思っている人だ』とすぐに思いつくようになる」ということだと思う。
そういう意味で「君はもっと『感性を磨』かなければならない」という指摘は的外れである。なぜなら、私の「感性がなってない」原因は、判断の材料となる、誰のどの部分の考え方が同じで違うのかという情報さえもが絶対的に不足しているから。
なので、たとえば地道に手がかりを集めている刑事に向かって「君は早く犯人を検挙しなければならない」とか「成績のいい同僚の○君を見習え」とか諭しているようなもので、言われた方からしたら「余計なお世話じゃ」となるところ。
というわけで、もしこれが「君はもっといろんな人と話をしなければならない」だったら、素直に聞ける…のかな?(オイ)
とにかく「話をする」のは、気の合う人同士の特権では決してなく、むしろ第一に意見の相違を確かめる行為だということに留意せよ。
考えたら、私含めて周囲で話をするのが苦手な人って「白と言われたら黒い物でも白」みたいな環境で育った人なのかもしれない。