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紀ノ川横断+たま駅長

2010年10月12日(月祝) 天気晴時々曇 愛猫会メンバー8人

先にお断りしておくが、タイトルに反してたま駅長は出てこない(汗)。たま駅長の写真をご覧になりたい場合は、2007年8月1日あたりの記事を参照いただきたい。

三連休の最終日、例によってこの日だけ晴れという悪運の強さにあきれつつ、朝7:30発の京阪特急で出発。

それでも歩き始めが10時半過ぎになる。そう、ここは愛猫会史上最も遠くまでやってきた、紀泉国境の山中渓駅なのだ。

山中渓駅

山中渓駅10:30

なぜわざわざここまで遠征してきたか? それは「たま駅長に会いに行く」という隊長プロデュースによる。あとはそれに山歩きらしい体裁をつけるのが私の仕事(!?) 貴志駅の近所にある遠征しがいのあるハイキングコースといえば熊野街道だが、駅から6kmぐらい離れているので駅長と絡めるのは少し難しい。

  • 熊野街道となれば峠越えをしなければ(そうなの?)
  • 紀ノ川→貴志が距離的に最適だが、京都から出発点(布施屋駅)に行くのはめんどくさい、そのぐらいなら↓
  • たま駅長が大ブームで観光客はたくさんいるけど「大阪府から歩いてきた」っていう人は滅多にいないに違いない
  • 距離と門限(17時)が不安だが、いざとなったら電車でワープができる、というかたぶんワープするであろう(笑)

ということで、雄ノ山越で和歌山入りするコースに決定した次第。

第1区:山中渓→布施屋

雄ノ山は小野山とも書くということで、なんでも小野小町が熊野からの帰りにこの地で亡くなったとか。この人も他の昔の有名人と同じで、お墓が日本にいくつもあって大変なことになっている。まあ昔のことなので、自称小野小町は何人もいたに違いない。

歩き始めて30分もしないうちに、今で言う府県境を越える。愛猫会が和歌山県に入るのは確か初めてだったはずだが、峠でも何でもないところでの国境通過だったからかどうか、皆あまり感動していないようだ!?

さて、国境には橋が架かっていて『日本最後の仇討』の記念碑がある。国境で仇討というのは偶然ではなく、ここで決行に及べば、橋の上は紀州泉州いずれの領地でもないのでいずれの当局にも手間をかけない、との配慮の結果によるものらしい。時代が時代とはいえ、仇討対象者は、命狙われていて、各国警察はそれ知っているのに援けてくれない、ある意味哀れではある。

山中関所址
こちら昔の国境の関所址
日本最後の仇討ち現場
日本最後の仇討ち現場
熊野古道の踏切
現代の関所は無人のくせにやかましい

さて、雄ノ山峠はちょうど和歌山市と岩出市の境界を蛇行しているようで、沿道にやたら所轄警察の境界標識が立っている。境界をまたぐ道路は他にもいっぱいあるのに、なんだかこの道だけこういう標識が目立つのは、先ほどの『境界上の事件・事故』を多分に意識している、ようにしか思えない、…とハイカーにツッこんでもらう目的かもしれない!?

雄ノ山峠
木々はまだ夏の色
雄ノ山峠南斜面
紀ノ川平野が見えてきた
旧道分岐
クルマ気にしながらの歩きはここまで

山を下りきって(小野小町墓もいつの間にか通り過ぎて)、ここから熊野古道は不自然に西に回り込むが、今回は関門があるのでショートカットさせていただく。このショートカットは江戸期の参勤交代路のようで、いつのまにか熊野巡礼もこちらが使われるようになったとのこと。古代は「おうちに帰るまでが熊野詣で」じゃないけど、回り道も含めて巡礼だったのが、だんだん観光化してきて移動経路も実用的になってしまったのかもしれない。あるいはそんな深い意味はなく、昔は単に回り道をせざるをえない水たまりか私有地か何かがあっただけかもしれんけど。

川辺の渡しに出る直前に空き地を見つけて、お弁当にする。どうやら布施屋駅から電車に乗らなければ間に合わない事態は回避できたようだ。

えびす井戸
石でできた井戸
山口本陣跡
山口本陣跡は小学校
川辺の渡し跡
川辺の渡し跡

川辺大橋
現代の川辺の渡し・川辺大橋

第2区:布施屋→伊太祁曽

一応伊太祁曽駅に16時までに到着できるメドが立ったので、布施屋駅にも寄らないショートカットルートを歩く。

さらに矢田峠までは、コンビニに始まってガイドブックの案内とは少々はずれた別の道を歩く。公式には熊野街道ではないのかもしれないが、こちらの道も微妙に曲がりくねっていて、かなり歴史のある道という印象を受ける。

この道、神社の幟がやたら立っている。どうやらお祭りらしい。幟に沿って神社を覗きに行こうとしたら、反対側からお囃子が聞こえてくる。どうやらお神輿は留守のようだと、お囃子の聞こえる方に引き返す。ここでお囃子が聞こえなかったら、山の上(の神社)まで登らされていたかもしれない。

和佐小学校の前あたりで、お神輿が子供御輿を引き連れて神社に戻ろうとしているのに追いついて、あとはしばらくお神輿について歩く。ちょっとゆっくり目なのが気になったが、まあ、伊太祁曽から電車でも間に合わんほどではないだろう。

お神輿行列
お神輿巡行に遭遇
お神輿のお還り
地元の神社にお還り

矢田峠に到着。ほんの50mほどの登りだが、勾配はかなりある。一気に登るのは難しいかもしれない。

矢田峠下
役行者祠で車道に合流
矢田峠北斜面
矢田峠から紀ノ川平野


矢田峠南旧道分岐

旧道はまっすぐ

矢印に従って県道に出て、あとは伊太祁曽までほぼまっすぐな旧道を進む。

第3区:伊太祁曽→貴志

たまバン

伊太祁曽駅の『たまバン』

伊太祁曽駅に15時過ぎに到着。たま駅長の勤務時間である17時までに6.5kmいけるかどうかという微妙な時刻だが、大勢すでに電車でワープに決する(笑)。次の電車まで時間潰しでうろうろしていたら、たま電車ならぬ『たまバン』を発見。なんか近いうちに、このあたりのあらゆる物が『たま』になりそうで怖い。

さて、貴志駅で電車から降りてきた連中が、大阪府から歩いてきたと言っても信じてもらえそうにないので、貴志駅に駅の外から到着できるよう、1駅前から再び歩くことにした。信じてもらって何になるかという気もするが(それ以前にわざわざ言うつもりもないけど)、8名中5名が終点まで電車で行くことを選ぶ中、おっさん連中3名は甘露寺前駅で下車して1.5km歩く。

甘露寺前駅
甘露寺前駅で電車を捨てる
平池
平池のほとりを貴志駅へ歩く
貴志駅
新装貴志駅に到着

16:15、えらく新しくなった貴志駅に到着。すげえ駅前に警備員までいるぞ。

たま電車

たま電車と記念撮影

…大群衆の中で3年ぶりに対面したが、駅舎共々たま駅長は変わり果ててしまった。話では「年取って寝てばかり」と聞いたが、私の見たところ、年取ってというよりストロボを嫌がっているような気がする。あるい既に眼を悪くしているのかもしれん。武士の情けではないが、何が何でも猫撮りたい人ではないので、冒頭にお断りしたとおり、本日は撮影せずに帰った。

こうしてみると、3年前の、のんびりしていた時期が懐かしい。ちょっと複雑な気分で、我々はたま電車で貴志駅を後にしたのであった。

距離高低図

本日の距離高低図


時間高低図

本日の距離高低図

2010/10/12 21:06 | カテゴリー:おさんぽ, ハイキング, 写真 | コメント(0)

三栖神社炬火祭再び

10月10日の三栖神社炬火祭のこと。

昨年は読みが外れて、松明が火つけないまま目の前を通り過ぎたので、今年は火がついてからの場所で待っていることにした。

三栖神社御旅所

出発前待機中

といっても、昨年点火したのは「相当向こうだった」という記憶があるだけで、正確な場所はわからないので、今年の火廼要鎮を拝受し出発点に据えられた松明をチェックした後は、奉納太鼓も見ずにコース方向に移動。

しばらく歩いたところで、前方に信号機を発見。そうか信号機を焼くのはまずいから、ここまでは火つけずに来るかと計算して、信号の後方あたりで待機していたが、このあたりは、奉納太鼓をパスしてまで30分も前から場所取りする必要はなかったようだ。そして場所取りしていても、一番いい時になってルール無用のド素人写真屋が最前列の前に乱入してくるのは防げないものである。

移動経路上の信号機
今年はここで場所取り
まだ無人の沿道
…するまでもねえや(汗)

そして20時ちょうど、提灯を先頭に松明が移動開始。この段階でも、このあたりはまだ最前列は埋まっていない。

…って、今年は昨年いたあたりで火つけてくれた。またしても計算外れ。そして、先に述べた「信号機焼いたらいかん」という遠慮は全く存在しないことも判明した(笑)。

点火の瞬間
えらい手前で火つけてくれた
松明点火
燃えながら向かってくる

火勢を強めつつ、蛇行してやってくる松明。

火勢最大でやってきて、信号機をあぶるのもお構いなしで、まさに私が待っていた場所で回転を始める松明。結果的に、この計算違いは悪くなかった!というか近すぎて、撮ってもわけがわからない。やっぱりこれは生で見るべきだと思う。






さて、3回ぐらい回ってから、役所の標識も盛大にあぶりつつ、ようやく京橋へ移動を再開した。結局、中書島バス停から京橋までほんの200mぐらいを、15分かけて練り歩いたことになる。

お神輿に清掃車が続いて行進終了。

お神輿Uターン
お神輿は中間点から
お神輿還る
神社に還る
清掃車
祭りの終わりを告げる清掃車

昨年はお神輿が三栖神社に還るまでつきあったが、今回は明日早朝からハイキングにつき、ここで撤収した。このあと京橋の上で最後の大暴れをやっていたらしい。来年は京橋で待っていることにしようか。

2010/10/11 21:06 | カテゴリー:おさんぽ, 写真 | コメント(0)

翠波高原

翠波高原から金砂湖

右奥はたぶん東赤石山

翠波高原のコスモスが、今週から来週にかけて見頃とのことで、半額高速で出かける。

初心者マークの時代に、本日と同じ法皇トンネル(R319の方)を非常にオソロシイ思いをして通ったことがあったが、いつの間にかえらく通りやすく&離合しやすくなっているのに驚く。

当時の法皇トンネルは、高知道がなかった時代につき、わざわざ括弧付きで区別する必要がなかった、というのは余談だが、天井に棒形蛍光灯が点々とあるだけ、離合箇所が1箇所ぐらいしかなかったような場所だったと記憶しているけど。さすが四国中央を名乗るだけのことはある。←たぶん関係ない

見頃というだけあって、相当な景色と人出だった。ここのコスモスは大輪なのが特徴。ただ標高800mとのことだが、それでも暑い。平地の最高気温36℃の日であった。



帰り途に、新設なった霧の森道の駅に寄ったところ、水遊びのクルマであふれかえっていたので早々に立ち去る。

蛇足だが、金砂湖から新宮ICまでの道は、同じR319ではあるものの、相変わらずまだまだ改善の余地がある。四国中央なんだからもうちょっと頑張ってほしい。←だからたぶん関係ない

まじめな話、カーナビ頼りの経験の浅いドライバーはそれなりの覚悟で臨むべし、と一応お知らせしておく。単に一刻も早く高速道路に入りたいのなら、法皇トンネル(R319)経由で三島川之江ICに向かうことをお薦めする。

2010/08/15 19:46 | カテゴリー:おさんぽ, 写真 | コメント(0)

ツバメねぐら入り空振り+月遅れ七夕

TV設置して舞い上がっているところだが、本日は「ツバメのねぐら入り」を見に行くことになっている。

地元でもイベントを企画しているようで、中書島の水門の対岸あたりに数十人が集まっているのが遠目に見えたが、私はR1バイパス巨椋大橋で待機した。

巨椋大橋
歩道の踊り場で待機
宇治川の葦原
向こうの土手に何十人か集まっている
ツバメねぐら案内図
果たして案内図のとおりやって来るか?

で、スズメとツバメの5~6グループが頭上を飛んでいくのは見えたものの、雲霞のごとくうじゃうじゃ飛んでいるのを想像した者としては正直期待ハズレ(汗)。

巨椋大橋の日没
いよいよ日が暮れてきたけど
ツバメじゃない鳥の群れ
ツバメはあんまり飛んでこない
宇治川河川敷
こちらも向こうも見た目動きなし

仮に、あっちのイベント開催地がねぐらの本命としても、もし数万羽が集まっているなら遠目に見えてもよさそうなものだったが、ストロボが光っているタイミングで撮影した画像を拡大してみても、それっぽいものは確認できなかった。あるいは今年は暑すぎてもっと北の方に逃げているのかもしれない!?

巨椋池の日没
とっぷり。
宇治川河川敷
時折ストロボは光るが、ツバメらしきものは写ってない
宇治川河川敷
さすがにここまで暗くなったら撤収あるのみ

というわけで今回は空振り。来年に期待したいが、もし来るとなると、案内板のとおり巨椋大橋の近くもねぐらになるのだろうか? 結構やかましくなったと思うけど。

まあ、30℃超でも風があって暑さは感じないし、蚊にくわれる心配もないので、夕涼みにはいい場所かもしれない。あとはクルマで来られないのと、大型車が通るとちょっとコワいぐらい揺れるのが難点かな。


手ぶらで帰るのもしゃくなので、中書島の月遅れ七夕に寄り道して帰る。

宇治川派流で灯籠を流すということだったが、思った以上の量なのに驚く。坂本龍馬のせいかどうか、えらく気合いが入っているようだ。



月桂冠大倉記念館

月桂冠の灯路

あまりに長居しすぎて、帰るついでに買って帰る予定だったWindows7を買い損ねる(汗)。今晩は、メインPCからデータHDDのみ取り出すところまで作業。

2010/08/07 21:50 | カテゴリー:おさんぽ, 写真 | コメント(0)

御殿場1泊2日(2)

ホテル屋上から雲の中の富士山

朝の富士山は雲の中

一応まじめな集まりにつき、今回はバカでかいSLRは自粛してEXLIMを持ち込む。

今回の会議の場所が御殿場だったのは、宝永噴火の復旧のための植林をしている富士山ナショナルトラストの方の手伝いを通じて、植林活動のサワリを学ぶため。

えらい人は下部組織に植林活動を展開してほしいとみられるが、逆に、植林活動って、単発とか年1回程度の活動とかでは成果が出せるものではないことを思い知った。

まず植木鉢で苗から育てんといかんし、植えた後も、間伐とかの手入れが必要になる(そういう意味で、手入れしなくても何百年も存続している原生林はすごい)。

結論、真の意味での植林活動は、専従でないとまずできないのではないかと。

で、我々のような者が半日や1日のボランティアでできることとなると、そんな専従の方の仕事の一部を手伝うところまでと割り切るしかなさそうだ。

とはいえ、大人数でたとえば苗の鉢換えだけでも炎天下で600鉢こなしてみせれば、まあ客観的にも少しは富士山の緑化に貢献したと言ってもらえそうな気はする。

植樹用苗の鉢換え作業
富士山麓の鉢換え
植樹用苗
2時間で600鉢

さて、お昼からは御殿場口五合目までバスで移動。事前の計画では単に『五合目』とだけしか知らされてなかったので、2000mを軽く越えると思って、押し入れからマフラーまで引っ張り出してきたけど、御殿場口は標高1400m(これは予習不足だ)。同じ五合目って名前で1000mも高さが違うのはどうかと思う。

御殿場口五合目
御殿場口五合目でお弁当
登山口
400分では抜け出すのは難しい!?
宝永山
かろうじて宝永山は見えた

もちろん低いといっても甘くはない。本来このあたりは緑の山だったということだが、宝永噴火から300年経っていても、植生は回復していないのだ。回復しない原因は、木が根付くのが困難な砂礫主体の地面と強風。で、これを人工的に復旧しようというのが富士山ナショナルトラストの趣旨。

その作業内容は、苗を土ごと植えて、それを組んだ竹で囲うこと。竹で囲うというのが、風の強い富士山特有の作業である。持ち込んだ苗は無事全部植えられて作業完了。惜しむらくは、2日間滞在してついに、てっぺんを見られなかったことかな。

御殿場口の山腹
木が植わったらパラグもできんようになるか
ホタルブクロ
ホタルブクロ
植樹
植樹作業完了

2010/07/31 23:45 | カテゴリー:おさんぽ, 写真 | コメント(0)

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